本物の乳酸菌生産物質「醍醐」は

世界で一つのみ

お釈迦様が涅槃経に醍醐の記述

乳酸菌生産物質(醍醐)の歴史はお釈迦様の時代までさかのぼります。その昔、お釈迦様は健やかで、乳酸菌で作られた醍醐という食べ物を愛用していたそうです。醍醐に関する文献の一つがシルクロードの敦煌に眠っていたサンスクリットのお経です。
発見したのは西本願寺第22代法主 大谷光瑞猊下が編制した、西域大谷探検隊です。光瑞猊下は仏典の中でも特に梵文教典に興味を持ち、それを翻訳する過程で、ついに涅槃経の教典の中に腸内細菌に関連のある経文を見つけ出しました。

大谷光瑞猊下がそれを科学的に解釈したところでは、仏教の教えは精神的な訓辞だけではなく、その中には科学的に人間を救う方法まで述べられているというものです。
そしてさらに涅槃経の中には具体的に「醍醐」という名前でそれが存在し、醍醐の製造方法が書かれている部分までありました。
大谷光瑞猊下が着目した涅槃経の中のその部分とは、 『・・・善男子、譬えば牛従り乳を出し、乳従り酪を出し、酪従り生蘇を出し、熟蘇従り醍醐を出す、醍醐は最上なり。若し服すること有る者は、衆病皆除こる。所有の諸の薬は、悉く其の中に入るが如し。・・・』というくだりです。

暗号の様なこの文書を解読することによって、 腸内細菌に関連した、長寿の秘訣が解き明かされました。この中に出てくる乳・洛・生蘇・熟蘇・醍醐という五つの単語が何を表しているのかという事が大きな鍵になります。そして大谷光瑞猊下が解き明かしたこれらの単語の解釈は次のように伝えられてます。
乳とは細菌を培養するための培地に相当する。酪とは乳の中から脂肪分を取り除いた物の事で、一般に乳酸菌は脂肪分を嫌うため、培養の際には培地の脱脂が必要。また生蘇とは生きた菌、すなはち培養に使用する乳酸菌の事。この生きた乳酸菌が協力し合って成熟していく。そして生蘇の分泌物が醍醐になる。

この醍醐の中には生きた菌は全く存在しません(醍醐には芳醇な香があって美味しいため、「醍醐味」という言葉はまさしくこの醍醐が語源だったと言われてます)。
醍醐を飲むと、腸内細菌の状態がバランスよく安定し、腸内環境に働きかけて人間の健康に大きな力を及ぼすと、釈迦はすでに悟っていたわけです。

細菌学の世界では、菌そのものだけではなく菌の代謝物が人間の体に対して一定の効果を持っている事が、ペニシリンなどの抗生物質の誕生以来、次第に明らかになってきました。驚くべきことに、はるか3000年も前に釈迦はそれを解明し、仏の慈悲に例え涅槃経の中で説いていたのです。
後に大谷光瑞猊下は中国の大連に大谷光瑞農芸化学研究所を設立し、醍醐の再現に着手しました。その製法は脈々と受け継がれ、現在も存在しています。

初めて醍醐を研究した大谷光瑞猊下

大谷 光瑞 猊下
日本の宗教家、探検家
1876年12月27日 ~ 1948年10月5日

大谷光瑞猊下は39歳で西本願寺を辞任。中国の大連に渡り涅槃経の記述があった「醍醐」をつくるため、人の腸内細菌(善玉菌のみ)の共棲培養研究を行う。

明治時代から昭和時代までの浄土真宗本願寺派第22世法主。伯爵。
第21世法主大谷光尊(明如上人)の長男として誕生。貞明皇后の姉、九条籌子と結婚。
中国大連に「大谷光瑞農芸化学研究所」を設立し、乳酸菌生産物質の研究を進めました。
16種類の菌を単独で培養し、最終的にあるタイミングと温度と菌の組み合わせで共棲培養することで、仏典にある「醍醐」を抽出することに成功しました。

大谷光瑞猊下の足跡

1902年8月、25歳の時に教団活動の一環として西域探検のためインドに渡り、仏蹟の発掘調査にあたった。途中、1903年1月に父・光尊が死去して、法主を継職するために帰国したが、探検と調査活動は1904年まで続けられた。これがいわゆる大谷探検隊(第1次)である。法主継職後も探検を続行させ、1914年まで12年間で計3回にわたる発掘調査などが実施された。
1908年、神戸六甲山麓岡本(東灘区)に盟友の伊東忠太の設計による二楽荘を建て、探検収集品の公開展示、整理の他、英才教育のための学校、園芸試験場、測候所、印刷所などを設置。文化活動の拠点とした。
1913年、36歳の時に、孫文と会見したのを機に、孫文が率いていた中華民国政府の最高顧問に就任した。
1914年、大谷家が抱えていた巨額の負債整理、および教団の疑獄事件のため門主を辞任し、大連に隠退した。隠退後も文化活動を続け、1919年には光寿会を設立して仏教原典(梵字で記述)の翻訳にあたり、1921年には上海に次代を担う人材育成のために策進書院を開校した。
太平洋戦争中は近衛文麿内閣で参議、小磯國昭、米内光政協力内閣で顧問を務めた。
しかし、1945年に膀胱癌に倒れ、入院中にソ連軍に抑留された。1947年に帰国し、翌年、別府で死去。生前は上海や台湾の高雄などに別荘を設けた。

日本で初めてヨーグルトを製造販売した正垣一義氏

正垣一義氏
1901年6月20日 ~ 1985年11月7日

大谷光瑞猊下に認められ、複合乳酸菌の培養と醍醐を抽出する研究に参加することができたのが正垣一義氏です。正垣一義氏は父の角太郎氏と共に日本で初めてヨーグルトを製造販売しました。

正垣一義氏は、東南アジアで幅広く事業を展開していた西本願寺の22代目法主・大谷光瑞師と出会い、中国大連に大谷光瑞農芸化学研究所を成立。研究テーマを乳酸菌から乳酸菌生産物質(醍醐)に切り替えました。
終戦後、一義氏は1948年(昭和23年)、東京に寿光製薬株式会社を設立。その間、正垣氏は昭和24年と25年の2回にわたって日本の国会で「寿命論と有効菌」と題した講演を行い、技術的にも今日の腸内細菌学会レベルを超えた解説であったことから、当時の高瀬壮太郎文部大臣や林譲治厚生大臣から賛辞も受けています。

正垣 角太郎 氏(1874年~1937年)

医師であり、正垣一義氏の父。日本でメチニコフの「乳酸菌による不老長寿説」に感銘を受けたのが、正垣角太郎氏です。
正垣角太郎氏は1903年頃より乳酸菌の研究を始め、1914年に京都に研生学会を立ち上げ、日本初のヨーグルト「エリー」を発売しました。
また、子息の正垣一義氏によって生菌を中心とした研究が盛んに行われていました。
(初代のヤクルト創業者は、正垣氏の工場で働いていた従業員でした。)

E. メチニコフ(1845年~1916年)

ノーベル生理学・医学賞を受賞したロシア出身の免疫学者。ノーベル賞を受賞後、人の老化についての研究に没頭し、長い研究を重ねました。そして老化とは組織を構成している細胞が衰弱したために食細胞の餌食になってしまう現象であるという説を考えだしました、腸内にある腐敗菌が出す毒素による慢性中毒がその老化の原因ととらえた彼は、晩年の研究の集大成として、「腸内細菌のうち有害な働きをする腐敗菌が動脈硬化の原因となる毒性物質を作ることから老化が始まる」という説を唱えました。

昭和20年、ついに16種35株の共棲培養と「醍醐」の抽出に成功

大谷光瑞猊下は16種35株という複合乳酸菌の共棲培養を、途中から研究に参加した正垣一義氏と共に、昭和20年にほぼ完成させたといわれます。
大谷光瑞猊下は戦争という混乱のさなか、戦犯と間違えられ、ソ連に抑留されました。昭和22年戦犯の疑いがはれて釈放。
日本へ帰国し、大分県別府市に在住し、翌、昭和23年に別府市で遷化されました。
別府市鉄輪温泉の地に、大谷光瑞猊下の功績を讃えて大谷公園をつくり、2つの記念碑が建てられています。
正垣一義氏も昭和22年に日本に帰国し、大谷光瑞猊下の指示により、焼け野原の東京に大谷光瑞農芸化学研究所を設立し、「醍醐」の研究を続けました。

乳酸菌とは?

糖を分解して「乳酸」を生産することによってエネルギーをつくる「細菌の総称」です。

乳酸菌生産物質とは?

乳酸菌の「代謝物の総称」であり、腸内でビフィズス菌などの善玉乳酸菌がつくりだしている物質です。
一般的に細菌類は、生まれてから死滅するまでの間に、いろいろな物質を体外に放出します。このような物質を「代謝物質」あるいは「分泌物」と呼びます。「代謝」といわれるように、何かを食べた代わりに、まったく別の物質を放出するようなイメージです。
わかりやすい例でいえば、蚕が桑の葉を食べて絹を作り出しますが、もともと絹は蚕にも桑の葉にも存在していません。つまり、絹は蚕が桑の葉を食べたときにだけ放出される代謝物質といえるのです。
同じ様に、乳酸菌生産物質も、乳酸菌が作り出す「代謝物質」なのです。あくまで、乳酸菌が作り出した物質であり、乳酸菌そのものとは異なります。
乳酸菌生産物質は、もともと腸の中の善玉菌が代謝している物質を摂取することで、腸の状態に関わらず腸内環境を改善させます。乳酸菌のように腸に届く前に死滅したり、常在菌に排出されることもありません。また、体に直接働きかける作用もある効率的な物質なのです。

「醍醐」の培養抽出と製造過程

特許取得製法

1. 無農薬・有機栽培大豆を契約栽培

腸内細菌を培養するための培地となる豆乳が原料、大豆は無農薬有機栽培に慣れた石川県の専業農家がつくっています。(遺伝子組み換えでない)

2. 栄養豊富な大豆から豆乳をつくる

丸々と粒が大きく、栄養豊富な大豆のみを使用しています。市販の大豆では絶対に味わえない、濃厚でとても美味しい豆乳です。

3. 豆乳を滅菌・冷却

豆乳に付着していた菌や、空気中から入った菌を排除するため滅菌・冷却し、人由来の善玉菌のみを培養できる培地をつくります。

4. 16種35株の善玉菌を共棲培養した菌を注入

クリーンベンチ(無菌室)にて慎重に16種35株の親菌を、無菌状態の豆乳に注入します。親菌は大谷光瑞猊下、正垣一義氏から継承された共棲培養技術により、各々の菌が競合して強化されたものです。

5. 発酵中に尺八の音楽を流す

腸内温度に近似した状況で5日間連続120時間ほど発酵させます。培養中は菌の生命力を活発にするため尺八の音楽を流します。菌の活動が活発になるのがはっきりわかります。尺八の音楽は晩年の正垣一義氏が奏でた音色です。

6. 発酵を充分に行ったのち滅菌・冷却

「醍醐」だけを抽出するために、生きている乳酸菌を滅菌します。

7. 1次ろ過2次ろ過し、乳酸菌生産物質を抽出

乳酸菌が代謝したエキス「醍醐」と死菌を分離します。原液に生きている菌は存在しません、代謝したエキスのみのため、腐敗しません。

共棲培養とは

本物は親菌が存在し16種類の菌の名称が公表されています
16種類の乳酸菌は㈶日本食品分析センターで同定しています

菌を人工的に増殖させることを培養といいます。菌の培養方法として、分離させた微生物を1種類だけ培養することを「純粋培養」といい一般的な方法です。これ対して、複数の菌を一緒に増殖させる方法が「共棲培養」と呼ばれるものです。

共棲培養の目的と定義

  • 人為的に2種類以上の乳酸菌を混合培養するとそれぞれ単独の場合よりも育成が促進されることがある。
  • 2種類の菌が共棲関係を有しているかどうかは2種類の菌株を同一の培地に接種し、植え継ぎを繰り返しても常に一定の割合で両菌が存在しているかによる。

(乳酸菌研究集談会:編書「乳酸菌と科学の技術」より抜粋)

しかし、共棲培養を行うには、善玉菌同士ならどんな組み合わせでも良いというわけではありません。AとBの2種類を一緒に育てようとしても、時間とともにBの姿が消えてしまったり、AとB双方がうまく育たない場合が多く、数ある菌のうち、相性が良くて生育も良い組み合わせを探す必要があります。
最初の定義で挙げられたとおり、2種類の菌が共棲関係にあるかどうかは、2種類の菌株を同じ培地(菌を育てる栄養源)で育て、その一部を他の培地に移して育てることを繰り返しても、常に一定の割合で両菌が存在しているかによって判断されます。
共棲培養の利点は、異なる種類の菌が相互関係を築くことにより、1種類で育てるよりも育成が促進され増殖力が強まることにあります。

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乳酸菌生産物質「醍醐」について詳しい内容はこちらの動画から

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